あと20回しかない

なんちゃってお遍路さん(12)福山〜東京

 前日からのつづき。

 10月24日(月)晴。2m/sくらいの北西の風。福山の最低気温10.4℃、東京の最高気温17.2℃。1時間22分(バイクタイム1時間6分)23.63km。累積標高50m。data

 有明埠頭でフェリーに乗ってから何日経っているのか、今日が何日で何曜日なのか、すっかりわからなくなっていました。このままあと何日か旅を続けてもいいな... なんてぼんやり考えながら山の中で朝を迎えました。出かけなくちゃ、東京へ戻るために。

 平日の朝ということもあって、福山市内はひどい渋滞でした。福山市内は自転車に優しくない道路ばかりです。芦田川の堤防は自動車専用道だし、一般道の道幅も狭く路面も荒れています。車が渋滞するのは交通量が多いのに1車線の道路が圧倒的に多いからでしょう。

 福山駅前で自転車を輪行袋につめていざ出発です。このMontbellの輪行バッグ、この日のために新調しました。上から被せるだけの構造で以前つかっていたあさひの輪行袋よりも圧倒的に使いやすいです。吊り紐は細いので、肩パット部分になにか手当てがあるといいでしょう。細いですがしっかり安定して持ち運びできます。生地もしっかりしています。

 新幹線ホームの正面に福山城です。

 ちょっと前から新幹線では大きな荷物は一番後方の席を取ってね、ってルールになったんですが、途中乗車で座席裏が空いていることなんかなく、そうすると結局こうなります。*1

 指定席を取ったものの席には座れなくてデッキでずっと景色見てました。お隣さんとの接近もなく、音楽も気兼ねなく聴けるからむしろちょうどいいですね。通りがかった車掌さんに右側が開く駅を聞いて、その駅の乗降時間にだけデッキの反対側に避難しました。いつもの乗り方ですね。

 最近新幹線に乗っていなかったので知らなかったんですけれど、警備会社の人が何人も乗っていて、いちいちに空きトイレをガラガラ開けています。新幹線乗られる方は鍵の閉め忘れ注意ですぞ。

 新幹線弁当、新幹線各駅の名物で彩られています。到着は13:36で平日の昼間なので輪行したまま中央線に乗れます。ラッシュ時とかだと東京駅から自走しなくちゃいけないのでありがたい。ビールも飲んじゃいました。

 この日、東京に帰ってきたらめっちゃ寒かった、秋を安芸へ置いてきてしまったみたいに。

旅を終えて

 帰ってきて10日間、このブログを書いています。ブログを書き終わるまでが遠足なのです。13日間の走行データの累積は、走行距離1065.46km、バイクタイム51:05、累積標高8274mでした。

 サイクリストとして経験豊富でもないわたしが言うのもどうかと思うんですが、ロードバイクで走れるのは街中だけだと今回実感しました。今回スポーク折れして、これが携帯の電波のないような場所だったとしたら、どれだけ他人に迷惑がかかるかわかりません。自力でリカバリできないリスクが大きすぎると感じました。今回のように市街地から距離のある場所を走り続けるような場合、スポーツバイク専門店でないと直せないような部品で構成されたロードバイクでは不適当だと思いました。今回もなんどかホテルに泊まれるかどうか不安な旅でしたが、さらに過酷な行程を走る場合には野宿は必須でしょうし、当然荷物も増えてリアキャリアにバッグをつけるような装備も必要でしょう。ただ、そういう自転車は輪行が(重くて)(部品の脱着が)めんどくさいんですよねえ。

 八十八ヶ寺を遍路すると何が得られるのか? と問われました。何が得られるのか、あるいは得られないのか、回ってみないとわからないよ。「人生は無為である」とか「一切空である」とか、それぞれの人生でそれぞれが感じることでしょう。どんな紋切りな言葉でさえそこへ辿り着く経験や体験、道程は唯一無二です。わたしにはわたしだけの答えが用意されているでしょう。誰かの答えを聞いてわかったような気にならないようにしよう。

 わたしが上京したばかりのまだ10代だった頃(妻に出会うちょっと前)、西武新宿高架下のアメリカ雑貨屋「アメリカン・ブルバード」で、米軍基地から流れてきたらしいユーズドTシャツを買いました。襟首ヨレもせず色褪せもなく、いまも旅のお伴をしてくれます。

 旅の間中、ずっと中島みゆきを聞いていました。おじさんがまだ汚れを知らない中高生だった頃に聞いていた曲です。黄色いTシャツを来て、妻の知らない頃のわたし。出会って、妻が好きになってくれたわたし。自分とはどんな人間だったのかを思い出そうと思いました。

 中島みゆき『エレーン』という楽曲があります。そのサビの一節の歌詞です。

エレーン 生きていてもいいですかと誰も問いたい

エレーン その答を誰もが知ってるから 誰も問えない

わたしはこの歌詞の意味がずっとわかりませんでした。「え、その答を誰もが知ってるの?」と。もちろん、今だってわかっているかどうか怪しいものですが、あれから40年も経って少しはわかったこともあります。他人は人知れず死ぬのだ、自分の生もまた同じ重さしかないということです。妻は死に、その生を閉じました。「生きていてもいいんだよ」と言ってくれるのは自分しかいないのです。今日、生きていられることに祝杯を!

 お遍路は「同行二人」といいます。ひとりで歩いていても常に弘法大師空海と共にあるという意味です。わたしはこの2週間足らずの間、妻とふたり旅をしました。妻は膝の悪かったので、たとえ生きていても長い山登りや急な階段は難しかったでしょう。ましてや自転車で徳島から今治、福山へ走ることなど思いもよらないことです。ほんとうに夢のような旅でした。

楽しかったねえ、あやちゃん。

*1:正確にいうと輪行自転車はこの特大荷物には当たりません。が、どう言い訳しても特大な手荷物であることには変わらないです。謙虚な気持ちで乗せていただきましょう