かどや旅館さんの朝食をいだだいて出発です。
5月12日(金)晴。朝のうちは2〜3m/sくらいの北西方向の風、10時以降は3〜4m/sくらいの東寄りの風。徳島の最低気温13.8℃、最高気温22.5℃。9時間31分(バイクタイム4時間36分)75.83km。累積標高594m。data
14番 常楽寺。
15番 国分寺。
16番 観音寺。
JR徳島線 府中駅近くの線路。そういえば、JR四国で複線の鉄道って見てないです*1。高知市の路面電車が複線だったくらいかな。
17番 井戸寺。
18番 恩山寺。
19番 立江寺。
JAの直売所「よってネ市」で鮎の押し寿司を初めて食べました。本当は旅行中には生ものとかよくないんでしょうけれど、おそらくこちらでしか食べられないでしょうから。酢締めしてあって少し皮が固いです。頭も食べられました(固いけど)。
鮎のお寿司を食べながら思い出しました。昨夜、かどや旅館のおかみさんとお客さんの話を総合すると、19番 立江寺から22番平等寺までの間、お遍路さんが泊まれるようなホテルがほとんどないそうなのです。勝浦町に「カネコヤ」さんという宿があるらしい、21番 太龍寺のさらに奥に「ほたるの宿」という宿があるらしいという情報でした。あとは平等寺まで行くしかない、と。以前は太龍寺の麓近くにホテルがあったそうですが、コロナ禍でなくなってしまったようです。距離にしたら40kmちょっとのようですが*2、このあたりはどうやら遍路宿の空白地帯のようでした。
天気予報では翌日の23日午後から24日中は雨でした。雨の中走るのもつらいですし、雨の野宿もできれば避けたいシチュエーションです。カネコヤさんに電話してみると、ご主人の体調が悪くてなるべくお客さんは取らないようにしているというお話でした。カネコヤさんに宿をとったとしても、夕方までチェックインを待つことになりますし、翌日は太龍寺を過ぎた頃から雨が降り出すでしょう。雨の中のダウンヒル怖過ぎます。ほたるの宿というところは地図上で確認すると太龍寺とはすこし違う峠道のように見えました。クルマならばぐるっと回ることもできるでしょうけれど、自転車では無理なのではと考えました。
ひとまず走れるところまで走って、無理なら道の駅あたりで野宿しようと決意して鶴林寺へ続く登り坂を走り出しました。ほとんど押しながら20番 鶴林寺に到着です。
鶴林寺を降り、那賀川に沿って県道19号線を遡上します。この日は何日か前に雨が降った影響で川の水が濁っていました。残念。
太龍寺へはロープウェイを使って参拝します。那賀川の岸にある鷲の里駅から太龍寺駅まで約10分間の空中散歩です。このロープウェイは西日本でもっとも長いものだそうです。料金は大人片道1,300円、往復で2,600円でした。自転車も追加料金なしに載せられます。
21番 太龍寺です。太龍寺から向こう側の麓(ほたるの宿方面?)へ向かって降りられる道があるそうですが、googleマップで確認できなかったので冒険はしていません*3。
ロープウェイの太龍寺駅の駅舎に忌野清志郎のサインがありました。2004年のツール・ド・お遍路という企画の時のものですね。
ロープウェイを降りる時は動画を撮っていなかったのですが、その分絶景を楽しめました。
ロープウェイを降りたのが15時半くらいで、平等寺まで行けそうな雰囲気になってきました。パンダ屋さんに予約を入れさせていただいて、星空ホテルのチケットは無効になりました。
ここまであんまりトンネルなかったのですが、ここで1km程度の喜来トンネルがありました。歩道もついていて安心して通行できます。
喜来トンネルを含めた阿南丹生谷広域農道と平等寺へ続く県道35号線は交通量も少なく、ゆるい下りがほとんどでたいへん気持ちよく走れました。おかげで平等寺の納経所が開いている17時に間に合うことができました。
そして民泊パンダ屋さん。一軒家をそのまま使った宿ですが、食事もご用意いただけますし、一応個室です(ベッドが2つあったのでドミトリーなのかと思いました)。wi-fi、洗濯機、乾燥機あります。コンビニエンスストアなどは近くにありません。オーナーの人柄に似てざっくばらんで気安い宿です。
お夕飯もたいへん美味しくいただけました。写真には写っていませんが、これにカツオのたたきがつきました。
外国人を含めた5人で夕食を囲みました。その中のお二人はもう何度目かのお遍路のようです。ある人が言いました「このままずっとお遍路を続けていたい」と。お遍路さんの毎日はとてもシンプルです。朝早くに起きて朝食を摂り、すぐに支度を整えて歩き出す。一日、30〜40km歩いて参拝し、また次の宿(あるいは野宿)へ着く。お寺からお寺へぐるぐると歩いているその中で曜日や日にちの感覚が麻痺して手段そのものが目的化してしまうようなところがあります。ふと、命や魂といった存在には目的なんかなくて、いまここでぐるぐると生きていることと向き合っているように思えます。もしかしたら、六道輪廻みたいな概念に近い行為なのかもしれません。
宿に着くまでいろいろ心配した日でしたが、なにもかもうまくいった日になりました。